“ことのは”の森 / Column

キキョウ

 春夏秋冬それぞれに季節の終わりはあるものの、夏だけはなぜか特別な“終わり”を感じます。
暑い暑いと文句を言いながらも終わるとなると寂しくなる。そして、夏には、終わるという寂しさと同時に、過ぎ去っていく清々しさもあります。
ある中小企業のオーナー経営者は、ご自身の病を知ったことをきっかけに事業承継を果敢に進められました。闘病しながらの事業承継の日々は大変だったでしょうに、苦しい、辛いと口にすることもなく、いろいろな想いを胸に秘めながら、淡々と、でも、内心ではきっと必死で、株式・経営・資産のすべての承継をやり遂げられました。そして、すべてを託して安堵したのか、ほどなくして旅立たれました。
 でも、この世にいてもいなくても、事業承継をやり遂げたオーナー経営者の横顔や後ろ姿には寂しさだけでなく、なぜか清々しさを感じます。事業を承継し、人生を全うしたという達成感、あるいは、第二の人生が始まったという希望、そうした想いや生き様が、後を託された者や受け継いだ人の心にしっかりと届き、残るからでしょう。
 夏が終わろうとする頃、空の青がストンと高く抜け、空気が澄んだ、清々しい日があります。夏でも秋でもなく、終わりの日のようで始まりの日のようでもある、そんな日があります。
 夏の終わりに、夏を謳歌したからこその寂しさと清々しさを感じるように、人生の節目に、人生を謳歌したからこその寂しさと清々しさを感じる、そういう終わり方に憧れます。
 7月から9月に咲くキキョウは、夏の花でもあり、秋の花でもあるのですが、その佇まいは凛としていて、夏の終わりを告げるために咲いているようでもあります。

・・・ 敬具
(梟)

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